私がなぜ宮崎アニメが好きかというと、お話よりも何よりも、何というのでしょうか、あの表現の細かさに心奪われてしまいます。 物語については、あまりに奥が深すぎてここではとても書ききれないので、敢えてふれないことにします。 宮崎 駿という人のアニメは本当に細かい。何が細かいかって、その1シーン1シーン表現の仕方。例えば、重い物を持って立ち上がる時の負荷のかかり方とか、着地するときの膝の曲げ方とか、まさに今走り出そうとする前のプレパレーションの仕方とか、耳の横を通り抜ける風とか、水の抵抗とか、加速とか・・・。あげたらきりがないけどそういった、人間が感じる重力とか、圧力とか、風圧とか、自然界のエネルギーが本当にリアルに描かれている。二次元の世界なのに、奥行きを感じる。重さを感じる。抵抗を感じる。ふだん私達が何気なく「感じて」いるそれを、アニメーションで表現してるからすごい。 その箱が重い箱なのか軽い箱なのか、見ただけでは分からない。自分が持ってみたら一目瞭然。でも、誰かが持ったのを見て判断するとしたら?重いと思ったときに歪む顔。腕、腰、膝に掛かる負荷。足の裏と床との間に掛かる圧力。きっとそれらを見て「ああ、今この人は重い箱を持っている」と判断するのでしょう。 実際、日常生活の中で重力とか圧力とか物と物との抵抗などは目に見えるものではありません。私達は間接的にそれらを感じて生きています。考えてみたらそれって私達の居る地球上にしかないものなんですよね。私達は地球に居る。だからそれを「感じてるか感じてないか」は、「今そこにアナタが居るか居ないか」に繋がると思うのです。 どんなに最新を駆使したコンピューターグラフィックでも、どこか現実味がないのはそのエネルギーを感じないから。つまらない芝居に共感できないのは、そこにあるはずのエネルギー達を感じないから。パントマイムが面白いのは「重さ」が見えるから。軽快なステップに心奪われるのは、そこに「重さ」を感じさせないから。 私達の身体が当たり前に動くのは、自分の周りにある物との抵抗があるからだということが、宇宙船のに乗ってる人の動きを見れば分かります。だから、当たり前じゃない動きを日々研究する肉体労働派の私としては、この当たり前に発生するエネルギーをもっともっと感じたいといつも思っています。それらを利用すれば、私の身体はもっともっと色んな事が出来るんじゃないかって思えるし、居かたが変わって来ると信じています。 きっと、多くの人がナウシカのように空を飛びたいと願ったり、トトロのお腹にパフッと飛びつきたいと思ったりしたのは、いつだったか自分も体感したことのある「あの感じ」を共有したからなのではないでしょうか。一度身体で感じたものって、人間なかなか忘れないものなんですね。そうそう。感じるのは人間なんです。そしてそれを伝えようとするのも人間なんです。言葉っていう便利なものがあるのに、言葉以上に身体で感じたものほど忘れない・・・。 まったく人間はぜいたくな生き物ですね。そう思いませんか?宮崎さん。
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