タップダンスと出会ってかれこれ10年になります。ほんとうに一瞬の10年でした。10年前の出来事は昨日のことのようです。何かに取り憑かれて没頭してました。10年経ってやっとそれを理解してます。ダンスを始めた20数年前のそれとは全く違う欲求と追及。楽しいという感情ではなかったと思います。ただひたすら「知りたい」という欲求が追及を生んでいた。その連鎖の先が今に繋がっていて、そしてたぶんこれはまだ終わっていません。よく、バレエをもっと小さい頃から始めてたらなぁ~…なんていう会話をするけど、タップダンスをもっと早くに始めていたらなぁ…とはこれっぽっちも思いません。わたしの中でタップダンスを始めるタイミングはあの時以外考えられない。絶対に、ない。その必然を強烈に感じているわけだけれども、それはなぜなら自分の意思ももちろんあるけど、それとは違う何かが同時に働いていたからです。この感覚をいつまでたってもじょーずに言葉で説明出来ません。単なる出会いじゃなく、単なる出会いと単ならない出会いがどう違うのかわからないけど、これを強烈な必然という言葉以外でなんと言うのかもしあったら教えて下さい。さっきから出会い出会いと言っていますが、たぶんこれは紛れもなくある2人の人間のことを言っているわけで、彼らと出会うには3歳では無理だったわけで、10歳でも無理だし、血気盛んなハタチでもないわけで。何か新しいことを本気で始めるのに、世間一般的には少し大人になり過ぎていたかも知れません。この10年は決して楽な道のりではありませんでした。浦上雄次に出会い、群青に出会い、自ら何度も崖っぷちに立ってさらされて、それでも前へ前へと進めたのはこの2人が居たから。10年よりもっと前、似ても似つかない人生をそれぞれ送っていながら何度もすれ違って来た私達3人が、10年前にフラリと面を合わせた奇跡。そして出会って10年後の今もなお、似ても似つかない別々の人生を送っているのは確かなわけなのに。なのに。ナノに…。ほら。ほらね。本番終わって、一日とちょっとかけて文章を打っているとこうしてまた意味を求めて思考がぐるぐるしやがる。これも、いつものことです。また、いつもの一日が始まるってことです。これが、生きてる証、、、か?はて。
戦友の公演にまさかゲストで出演出来る日が来るなんて思ってなかった。友達のよしみなんかじゃないことぐらい分かってるけど、例えよしみだったとしても感慨深いことに変わりはないからどっちでもいい。昨日のセッションが、いつもの、いつもの私たちです。たとえ遠くで背中を向けていても、そのニオイを嗅ぎつけるでしょう。バトンを受け取って過ごした時間は、今まで感じたことない揺らぎの中に身を置くことが出来ました。もちろん細かい反省は死ぬほどあります。でもあの瞬間は、あの瞬間しか生まれないものがあった気がします。100%信頼していました、Key.サトシくん。無茶ブリに急遽対応してくれたBass.けんちゃん。この人の一発があったらそれだけで心が動かないはずがない、per.ばんちゃん。彼らのグルーヴの中に身を委ねたら、踊るのを忘れるくらい、ほんとうに気持ちがよかったんです。孤独の先に見つけた時間。わたしたちはきっと10年前よりもっと前から出会っていて、そしてタップダンスと出会い、10年後、こうしてスペシャルなみんなと、スペシャルな一瞬を過ごすことが出来た、昨日という日。アレ。なんかすいません。こんなにアツく語って。。。
Bridge of Rhythm Tap群青が繋いだ橋の先に、世界でひとつだけの場所がありました。そこには群青が最後に言ったように、共演者のみんな、そして来場頂いた皆さんが居てくれた。そしてね、ここからまたそれぞれの橋を渡っていくんだな~としみじみ思って楽屋に戻ったら群青もちょうど戻って来て、ぐん「あ。さとみちゃん、終わったね~。」さと「あ。ぐんちゃん、終わったね~。」ぐん「また明日からいつも通りだね~。」さと「だね~。」ぐん「……」さと「……」なんていう、銭湯上がりの脱衣所みたいな会話が繰り広げられました。笑これも、いつものこと。あら、イヤだ!饒舌に語らない方がずっとかっこいいのに、単なる昔話をダラダラ書いてしまいました。相すみません。。今日は久しぶりの晴れ間です。洗濯物たちがパタパタパタ。風はもう、秋ですね。。。
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