忘れちゃったこと。

私の父は大工でした。特定の弟子を持たない父は、母と共に営繕を請け負い、ドラえもんのポケットのような、なんでも積んであるデッカいトラックを運転しながら、鼻の穴まで真っ黒になって帰って来る父でした。そして三姉妹の私達もたびたび手伝いに駆り出され、トンカチやドライバーを持たされました。遊びのつもりでも道具を持てば鬼の形相に変わり、子供だろうが女だろうが容赦無く罵声がとんできます。もちろん手解きはなし。出来なければ叱られる。常に一歩先を読んで父を補助しなければならない。道具は便利だけど、使い方を間違えればとても危険なものですから。何が危険なのかも分からない私達に、父はいつも言っていました。何事も経験だ。道具を触る感触も、どうやって使うのか考えることも、ケガをして痛い思いをするのも、怒られて悔しい思いをするのも、物が完成していく様も、全て経験だ、と。事実、そう言っていた父は一番良くケガをして何回も病院送りになってるし、その度に、これが自然治癒だ!と言って勝手にギブス取って先生に怒られたり、蜂に刺されて全身腫れてるのにそのままにしてみたり、欠けた歯をヤスリで削ったり。子供心に、コノ人まじヤバいわ…と本気で思ってました(笑)。父はテレビが嫌いでした。一日でテレビを見ていいのは一回だけ。唯一許された番組はNHKでやっていた一時間番組「野生の王国」。民放のCMはくだらないと言ってその都度消さなければいけません。何故だ、何故だ、何故だ!私はこのルールに納得が行かなくて、本気で反抗したことがあります。コマーシャルだって、わずか15秒に命かけて創ってる人がいるのに、なんでくだらないなんて言うんだ!その答えを父がくれたかどうかは忘れてしまいました。私が大人になって、まさか一瞬でもテレビの内側の人間になろうとは、父は想像していたでしょうか。私がテレビに映った時父はどう思ったか、それを聞くのも忘れてしまいました。結果、私はものを創る仕事に携わり、細部まで見る自由を奪われた四角い箱の中はあまり好きではありません。信じるものは自分で感じた空気や臭いや感触、涙も汗も人の呼吸も。指一本で全ての情報が分かってしまう今の世の中を、父はどんな風に見ているでしょうか。何事も経験だ。便利になった世の中を経験してみて、だけどやっぱり匂いや空気にはかなわないよ。ちゃんと顔を見て挨拶出来る喜びにはかなわないよ。お父さん。触れられる距離に誰かが居てくれることが、一番のコミュニケーションだね。お父さん。ダンスってさ、それを全部叶えてくれるんよ。身体ひとつでそれを経験させてくれるんよ。凄いね。本当に凄いね。ダンスのもつパワーは本当に凄い。これは経験してみて、分かったことよ。汗を流して、涙を流して、痛みを覚えて、喜びを分かち合って、分かったことよ。道具を使わないダンス。自らが道具となるダンス。触る感触も、どうやって使うのかも、ケガをして痛い思いをするのも、出来なくて悔しい思いをするのも、創造するのも、全てこの身体が経験してこそ。人のマネではなく、自分自身がこの経験を生かし育てていくことこそ、道具として長く長く使っていけるってことなのかなぁ。。それを父に確かめることも、もう忘れてしまいました(^_-)ちゃんちゃん。

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當間里美 jazz dancer / tap dancer / choreographer

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