20年前にダンスを始めて、その2年後にはプロになると言って東京に出て、がむしゃらに、ただがむしゃらに踊って来ました。プロって何だ。表現て何だ。ダンスって何だ。私はいったい何者だ?いつも自分を疑って、足りないものを探して、反発して吠えてひたすら叫んで来た20年。階段をひとつ登る度発見する新しい何かはまるで麻薬の様。止まらない欲望となって私をまた次のステージへと走らせる。それが次第に平坦な道となり、心だけそこに置き忘れてしまったとしても、私はもう随分長い間それに気付かないふりをしてひたすら走る事をやめずに進んで来た気がします。それが性ならば、それが自分の選んだ道ならば、自分で答えを出すまで諦めない。そう言い聞かせながら。そして目の前に見える新しい世界の輝きと反対に出来た心の影は、私の身体をいつの間にか支配して、お前が望むならと試練を与え続けました。そんなつもりじゃなかった。私は私を充分理解している。妥協ではない。諦めではない。だから私は前に進むんだ。だから平気、大丈夫。大丈夫よ。本番数週間前に形見であるネックレスのチェーンがプツリと切れました。不吉な予感は一切ありませんでした。それどころか、うん、わかった。自分で歩いて行けって事だよね?もう大丈夫だよね?そう呟いていました。結局ネックレスを着けることなく望んだ舞台。そして今回私がここで得たものはあまりに大きかった。言葉ではとても言い表す事が出来ません。絵に描いたような友情や感動など、もはやなんの意味もありません。いま、苦しくもがいていた自分を眺めています。長い間側に居てくれた仲間達の存在が私の心を解かし、自分で履かせた足かせが一つづつ取れて行くのが分かります。切れたネックレスの意味はこれでした。すべては得体の知れない大きな力で全てが動かされていたと思わざる得ません。宇宙をも支配する大きな大きな気の流れ。あの時自分は確かにその気の中にいて動かされているのを感じました。それはとても穏やかで心地よく、信頼に包まれた空間。途切れる事の無い集中力、開放感、喜び。天と地が逆さまになる程の身の軽さ。地球が誕生してからずっとある気の渦は、たぶんいつもそこにあって、人間なんてそれに逆らうことすら出来なくて、しかも気付かなくて分からなくてもがいて、だから苦しむんだろう。そして数億年続く太く揺るぎない気の流れに気付いた時、苦しむ意味を知り自分の答えをそこに見つけるんだと思います。ああ、だから「今」だったんだな、と。また再び、この気の流れに乗れる日は来るでしょうか。それは分かりません。自分一人じゃ見つけられませんから。まだまだ完璧じゃありませんから。ここからまたスタートですから。無力だった自分を知り、この場所に対する強い思いを知り、沢山の歴史を知り、尊い沢山の友を思い、感謝を知り、また次へ。いつもいつもそれの繰り返し。これからもずっと。最後に、友人、仲間、親友、ライバル、あらゆる関係を超越し私が最高に尊敬し最も愛しているダンサーよしちゃん。私達はたとえ宇宙に投げ出されたとしてもまるで磁石の様に再び出会うでしょう。きっと彼女が居なければ私も存在しません。38歳寅年。よしちゃんが生まれた4日後に私が生まれ、そして20年後に出会った私達。そしてそこからまた20年が経とうとしています(>_<)。よしちゃん。20年目で感じた宇宙の話は2人だけのナイショにしとこうね。そしておばあさんになったらさ、また2人で宇宙に行こぅぜ!ファンキーな宇宙の旅にさ!
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