我が家の新年会

今日1月2日は、我が家に唯一残された年間行事『我が家の新年会』。嫁いだ二人の姉も今日ばかりはそれぞれの家族を引き連れての参加。一行が降り立つは二重橋。天皇陛下の一般参賀に参列。その後靖国神社へ初詣。この行程が我が家に定着したのはいつぐらいからだったでしょう。記憶にあるのは私が20代だった頃(意外と最近?笑)。なんの説明もなく無理矢理父親に連れてこられたのが始まりでした。狭山に拠点をおく我が家が何故に靖国???私の父は沖縄県出身です。およそ33年前に沖縄を後にしてから、一度もその地に足を踏み入れることはありませんでした。初めて靖国神社を訪れた年、同じ敷地内にある遊就館に行きました(ここは是非一度訪ねることをお勧めします)。思いに耽りながら拝観していると父がふっと私の背後に寄ってきて、沖縄の狭い地図を指差しながら私に言いました。『お父さんは、ここからここに逃げたから助かったんだぞ。』祖父はフィリピンで戦死し、今靖国神社に祀られています。今年94歳になる祖母は、今も沖縄で遺族年金を受け取り生活しています。決して遠くはない過去に、戦争という恐ろしい出来事があったことは知っています。でも、私は知りませんでした。それが自分のルーツを脅かす、本当に身近な出来事だったということを。33年という長い間、故郷に帰ることがなかった父。帰ることが出来なかった父。その理由は、父の口から語られることはありません。父の複雑な生立ちを、父の口から聞いたこともありません。でも、父が私たち家族をある年の正月、突然ここへ連れてきたことで、それが日本という国が辿った歴史と密接な関わりを持っているのだろうということは、容易に想像がつくことでした。そしてだた一言、あの時沖縄の地図を見ながら呟いたあの言葉が今も私の耳に張り付いて離れないのです。これらの事柄に対して、安易に発言することは決して出来ません。ただ私が思うのは、日本人である私たちが守るべきものがここにあるということ。一年に一度入ることが許された宮殿。防弾ガラスの向こうに現れる歴史の重さと現実。2008年も私たちが当たり前のように踏みしめるこの大地は、これら歴史を生きてきた人々の、多くの、本当に多くの屍の上に成り立っていることを強く実感するのです。西洋の文化に憧れてダンスを始めた。日本人である私。血。自分がすべきこと。自分が出来ること。知ることの上に待ち受ける苦悩と葛藤。避けては通れない道。でもそれが、継続する力となる。生きる力となる。新年明けましておめでとうございます。今日という日を再び迎えられたことに感謝します。この足で踏み鳴らす大地に、感謝します。2008年1月2日

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當間里美 jazz dancer / tap dancer / choreographer

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