今まで私は、お陰様で幾度と無く舞台にもたたせて頂き、本番も数多くこなしてきました。舞台、クラブ、映像・・・etc。場所も様々なら、観客も様々。しかしそのほとんどは既に観てくれる事を前提とした場所、人でした。観に来る観客は何日も前から予定を組んでチケットを買い、私達は観客が払った分だけの満足それ以上のものを提供する。これが当たり前でした。しかし、その当たり前が崩れたとき、観客には選択の余地がありません。何故なら観客の選択権はその舞台の幕が開く前まで、いいえ、チケットを買ったその瞬間で経たれてしまうからです。チケットを買ったなら観ざるを得ない。クーリングオフは効かないのです。だからパフォーマンスする側は、そんなデメリットを抱えて観に来てくれる観客に対し、最大の誠意と感謝を込めたパフォーマンスを提供しなければならない。と、私は常々思っています。でも、そんな私の中の当たり前の常識が通用しないのが唯一STREETという舞台でした。照明もなければ、音響設備もない。ステージもなければ、観客席もない、なんでもない場所。良く言えば、なんの制約もなく自由に出来る。好きな時に好きなことして、終わって、時にはチップなんかも貰っちゃったり?悪く言えば、興味なければ素通りOK。つまんなければ素通りOK。拍手なんかしなくたってOK。お金なんか払わなくたってOK。うわっ。シビア・・・・。これが感想。お金かからないし、観る事も強制してないし、だから好きなことやれて、自由で楽しいし。だからSTREETでパフォーマンスすることは実にお手軽で簡単な事なのでしょうか?いいえ。大変なことをそぎ落とした場所だからこそ残るものは「パフォーマンスする力」。これだけなような気がします。観る者、観られる者の間に発生するあらゆる制約を解いた場所STREETだからこそ、その主導権を自分たちが握り、新たに制約(ルール)を作り上げていく。それがSTREETパフォーマンス。実にシンプル極まりない作業。シンプルが故に、あらゆる制約でうっすら見えなくなっていたものが浮き彫りになってしまう場所。シンプル=簡単 では決してない。裸一貫に成らざるを得ない場所、STREET。私は、少しでも人前に立つ人間としてお金を頂くからには、そんなSTREETで繰り広げられる熱い彼らに負けないステージをしなくいけない・・・そんな事を頭の片隅でずっと思いながら今まで踊ってきました。そして今、自分がタップシューズを履き、渋谷の街中で、せわしなく歩き過ぎて行く人々を相手に(観客に)踊っています。シンプルにいこう。そう思って始めたTAP DANCE。自然とここに辿り着いてしまいました。結果と実感、悔しさと後悔、自由と現実、すべてがリアルな場所STREET。今だからこそわかる重圧と解放をいっぺんに感じながら、また渋谷のどこかで踊りたい。
0コメント